KAT-TUNという星は輝いている

5月1日がやってきた。KAT-TUNは充電期間に入っていく。
自分にしては珍しく、ライブを多ステしたいと思い、名古屋、大阪、東京(最終日)を見た。充電期間に入ることがその要因だった。KAT-TUNがグループとして今度いつ会えるかわからない不安と、KAT-TUNがライブにどう向き合うかを確かめたかった。ライブや舞台はナマモノで同じものはないと考えている。同じセットリストであれ演目であれ、演者の体調や気分が毎回違うのでそれが良くも悪くも影響する。それが見てる側からしたら醍醐味だろう。
予想はしてたが、ライブ最終日の前日からひどくセンチメンタルになってしまった。ライブをまだ見てもいないのに涙腺がゆるくなり、これからKAT-TUNは大丈夫なのかなといらぬ心配をしてしまう。名古屋や大阪はライブが単純に楽しくて、東京で充電期間に入るなんて夢のように考えていた。現実になるにつれ、3人それぞれの姿は見ることはできても3人が揃う姿は見れないのだと今更のように気付く。ただの充電期間。充電って何だろう。今も頑張ってるのに何を今以上に頑張るのだろう。個々の活動だって今もきちんとしてるのに。
そんな時、不意にKAT-TUNが星のようだと思った。星はその光が地球に届くには何年も何億年もかかる。地球で今輝いていても本当はすでに光を失っている可能性があるのだ。KAT-TUNという6個の星でできた星座を見つけたのに気付いたら3個の星しか輝いていない。いつの間にかその3個も見えなくなってしまうのではないかと不安だったのだ。

ライブが終わってみたら、思ったより暗くならなかった。一ファンが不安に思うのだから本人たちの不安は更に大きいことは感じ取れたが彼らの言葉は力強く、泣きはしても笑って終われたことで救われた。リスクを背負うことの重大さは3人が一番わかってる。ファンができるのは寄り添うことと付いていくことしかない。淋しいことには変わらないが、3人一緒の機会はなくても3人それぞれを応援する気持ちはある。そう思うには十分なライブだった。

KAT-TUNという星は美しく輝いていた。ただ、見てるこっちが勝手に見失って、不安になってるだけかもしれない。