ボクの穴、彼の穴。で見えたもの

塚ちゃんは美しかった。
「ボクの穴、彼の穴。」で演出されたものを吸収し演じる姿に惹き込まれ、パルコ劇場での「つかだりょういち 24歳」は私にとっては知らない塚ちゃんだった。

 

「ボクの穴、彼の穴。」の序盤では劇場は塹壕のように暗いところから始まる。塚ちゃんと秀くんと同じように穴の中にいるようだった。2人は交わらないのだが、感情はシンクロするように動いていった。贈り物の時計が動かなくなったことやコンビニがないことを嘆いていたのだが、変な妄想に捕らわれていく。自分と違う穴にいるのは男ではなく女ではないか、はたまたモンスターではないか。食事時に襲われたくないという考えから家族の団欒を思い出したり。その妄想はコミカルに展開していくが、終着するところは絶望的なものだ。「僕はそろそろ限界です」と塚ちゃんが言葉にしたように、穴で疲弊した2人の情緒は乱れていった。自分とは違う穴にいる敵に怖れ、襲わないで欲しいと願っていた気持ちはついに自分がやられる前に相手をやると変化してしまう。
塚ちゃんはバラエティで見せる明るい顔をしたり、絶望や悲しみや怒りを表現する。舞台の緊張と弛緩が伝わってきて、「つかだりょういち」の感情に取り込まれていく。

 

2人とも戦争マニュアルを読み、戦争では人を殺したり自分が殺される危険があることを頭の中ではわかっていたけど、怖さゆえにきちんと理解しようとしなかったのかなと考えてしまう。たが、戦場に来たことで戦争を実感し、自分に死が迫っているという恐怖に気付いたのでしょう。殺されるのではと思うと、自分の穴の傍にいる誰かを特定するのが怖くなってるようだった。穴には敵かも味方かも人間じゃないかもしれない。だけど彼らは探ろうとしなかった。「わかることの怖さ」を2人は戦争で気付いてしまって動けずにいたかもしれません。私も色んな情報から戦争ってこういうものとぼんやりと思うものはあるけど、きちんと理解していない。戦争は怖いものという先入観で逃げているんでしょうね。


塚ちゃんが家族の団欒を思い出し最後におじいちゃんが殺されるのだが、おじいちゃんは戦争を知っているからわかってくれると言うんですよ。まだ自分は死にたくないと、そのための犠牲はしょうがないと思っているようなんですよね。家族を懐かしんでいるのに残酷な妄想。淋しげに悲しげに言う姿はその残酷さに気付いているようだった。自ら望んで戦争に参加したとはいえ、極限の状態で自分を一番に思わないでいれるだろうか。本来の自分を見つけてしまった瞬間だった。生きるって難しい。自分を偽り限界まで頑張ることはできるけど、自分が壊れる寸前だ。

 

観劇して時間は経つのに、あの場面はどういう解釈なのだろうかと考えてしまう内容だった。どんな塚ちゃんが見れるかとドキドキしていたが、予想も期待も越えてきた。その真剣に取り組む姿はとても美しく、心地よい余韻がまだある。

 

ボクの穴、彼の穴。

ボクの穴、彼の穴。

 

 

今から始める加藤シゲアキ

機は熟した。

NEWSが徐々に気になってきており、ビビットと変ラボの録画を始め、今年の上半期の後悔がQUARTETTOに行けなかったことになってる今、加藤シゲアキが書いた本を読もうと思い立った。時を同じくして、長期連載が決まるというタイミング。読まないと後悔するとシゲアキ先生も言ってることだろう。思い立ったが吉日、「傘をもたない蟻たちは」を購入した。1作目を傘蟻にしたのは、失礼な話だが自分に合わない文体や内容なら嫌だから短編と思ったからである。
読み始めると、実に面白い文体や内容が勝手に思い描いている加藤シゲアキに重なるからだ。神経質で、人に不信感を持っていそうで、孤独。帯にあった「生きづらさを抱えた人々の痛みと希望を描く」という表現が言い得ている。安易なハッピーエンドは好きじゃなさそうなのもわかる。小難しいわけではなく、一癖も二癖もある作品だった。あえて例えるなら、星新一のスタイリッシュ版のように感じた。最後にどきっとさせるような終わりがいい。
正直なところ、最初の2編でちょっと読み辛いと思った部分がある。「undress」がサラリーマンものだからシゲアキ先生の未経験が文字でわかるからかなと考えてみたが、なんか違う。文章のスタイルでしょうか。語尾が、「〜た。」になるものが並んでるんですよね。テンポの悪さや、日記のような感じを個人的に受けた。スピードがないようにも。そのせいで読み辛かったのですが、「恋愛小説(仮)」からはテンポが良くなっているようでした。文章スタイルを変えて、挑戦してきているのがおっと思ってしまった。作品の掲載時期はそう変わらないので執筆を似たような時に行っていると考えると、思うところがあっての変更かなとも考えてしまいます。何かを吸収したり影響を受けたのか、シゲアキ先生の力がまだ知れないのか。個人的にはそんなことを考えることもできて面白かった。
加藤シゲアキファンは彼の書籍を読んで感想を言い合えると思ったら、すごく楽しそうで羨ましい。ここが加藤くんらしいよね!、とか。ドラマ化の時に読んでいたら、まだ色んな人の感想を知れたのにと後悔した読了。
苦しい時はあるにせよ、楽しんで書いているのだろうなと思わせてくれるんですよね。小説、エッセイ、ジャニーズWEBのシゲアキのクラウドと読むと、文字にして伝えることが好きなのが感じられる。そうでないと長々と書けない。シゲアキのクラウドでのライナーノーツを読むと、心強い広報兼演者だと思う。
ダ・ヴィンチ(2015年8月号)に「ストーリーも大事なんだけど、俺が書きたいのは人の記憶に残るようなシーンであり、直接心臓に触れられたと感じるような言葉なんです。読んだ人の気持ちをえぐりたいし、衝撃を与えたい。刻みつけたいんですよ、俺の言葉を」と発言があり、今後も小説家としての加藤シゲアキも楽しみになってきた。
 
傘をもたない蟻たちは

傘をもたない蟻たちは

 

 

まだ君のチカラウタになってる?

KAT-TUNのライブDVDに映っているA.B.C.は河合くんはギラギラして、五関くんはいつものポーカーフェイス、塚ちゃんは不安そうに、そして戸塚くんは笑っていた。KAT-TUNの人気が上がっている時、後輩は彼らを真似するように少し大人びたギラギラさを身に纏っていた。戸塚くんの笑顔にはそういうギラギラがなかったから、デビューしたいとかやってやるとか悔しいとかないのかなと思った。それが頭の中に残っている時に、Myojo(2016年5月号)に戸塚くんの気になる記事があった。

BUMP OF CHICKENは俺の人生のあゆみとともにあるバンド。『orbital period』っていうアルバムは2007年に発売されたんだけど、ちょうどHey!Say!JUMがデビューしたときで、『Mステスーパーライブ』にJUMPのバックとして出たりしてた。せつない気持ちで幕張メッセからひとりで歩いてかえるときに、そのアルバムを聞いて励まされたなぁ。

デビューを目指していればやはり自分より先にデビューする人間に思うところは出てきますよね。悔しいと思わないと続けていけないですよね。Myojoでは戸塚くんが励まされた曲は明らかになっていませんが、「才悩人応援歌」ではないかと予想しています。自分の力に思い悩んだ時に聞くと応援されるようでもあり叱咤激励してくれるようでもある曲と解釈しています。歌詞に「死にたくなるよ」とあるのですが次には「生きていたいよ」とあり、まだ諦めていないように思います。それが先にデビューしたグループに対して色々思いがあった戸塚くんにフィットしたのではないかと考えました。

 

デビューすれば悩むことがなくなるのかなと思ったのですが、デビューした組に同じくBUMP OF CHICKENの曲に励まされたジャニーズがいたんですよね。NEWSの小山くんがMCをしている「チカラウタ」でHey!Say!JUMPの藪くんが披露していました。戸塚くんをせつなくさせたグループのメンバーなんですよね。運命のいたずらのようです。未デビュー組がデビュー済組に思うことがあれば反対もあるわけで、藪くんのデビュー後の心情をMyojo(2013年)の10000字インタビューで発言してました。

「まだまだHey!Say!JUMPというグループが好きだから見に来てくれる人が、少なかったと思うんですよね。Kis-My-Ft2とA.B.C.、たくさんのJr.に盛り上げてもらって。みんな"Hey!Say!JUMPのコンサートにおじゃましました"なんてこと、絶対言いたくなかったんだろうなって。だから、Jr.のみんなに、なんてことをしてるんだって、後ろめたさみたいなものがありましたね
「北山と、とっつーは、昔から仲いいから、Jr.時代に、週何回かごはん行ったりしてて、僕たちがデビューしたあとも、その関係は変わらなかったんですけど、心のどっかで絶対、思ってることあるよなって考えると、うん、……なんか……悲しかったな」

藪くんが後ろめたさを感じるのは自分に自信がなかったのでしょうか。チカラウタでデビュー時の葛藤を語っていました。

(Jr.時代にセンターにいたがグループに入って端になったことに対して)
藪:最初はなんで、僕ここにいる…デビュー決まったのに端…別にそれは悪いことじゃないと思うんですけど、すごい葛藤があって。自分は飛び抜けて歌が上手いわけでなもくダンスができるわけでなくめちゃめちゃ演技ができるとかそういうのなくてすごく悩んでた時期があったんですよ。グループとしての立ち位置はどうしようって。何で僕このグループにいるんだろうって思った時に、結構お風呂で、音楽を聞くことが多くて。そん時に流れた一曲の歌詞に、『得意な事があった事 今じゃもう忘れてるのは それを自分より 得意な誰かが居たから』っていう歌詞がある。だからその歌詞を聞いた時に、自分には突出した才能はないけどグループの潤滑油的な役割になれたらなって思えるきっかけをつくってくれた曲

デビューしても悩んでいた時に聞いた曲が、BUMP OF CHICKEN「才悩人応援歌」だったんです。

藪:もし僕がJUMPの中からいなくなったって気付かない人がいるかもしれない。という何かそういうことにリンクしてこの曲のその歌詞の部分を聞くと何くそって。色んななんかパワーを力を与えてくれる

 

境遇は違えど、戸塚くんと藪くんはBUMPの曲を聞いて、自分を奮い立たせたんでしょうね。相談できず悩んでいた時、その曲によって自分の力で活路を見つけていったのでしょう。

2人のグループはそれぞれ伸びてきており、もし悩むことがあっても曲を思い出してチカラにするのかな。

KAT-TUNという星は輝いている

5月1日がやってきた。KAT-TUNは充電期間に入っていく。
自分にしては珍しく、ライブを多ステしたいと思い、名古屋、大阪、東京(最終日)を見た。充電期間に入ることがその要因だった。KAT-TUNがグループとして今度いつ会えるかわからない不安と、KAT-TUNがライブにどう向き合うかを確かめたかった。ライブや舞台はナマモノで同じものはないと考えている。同じセットリストであれ演目であれ、演者の体調や気分が毎回違うのでそれが良くも悪くも影響する。それが見てる側からしたら醍醐味だろう。
予想はしてたが、ライブ最終日の前日からひどくセンチメンタルになってしまった。ライブをまだ見てもいないのに涙腺がゆるくなり、これからKAT-TUNは大丈夫なのかなといらぬ心配をしてしまう。名古屋や大阪はライブが単純に楽しくて、東京で充電期間に入るなんて夢のように考えていた。現実になるにつれ、3人それぞれの姿は見ることはできても3人が揃う姿は見れないのだと今更のように気付く。ただの充電期間。充電って何だろう。今も頑張ってるのに何を今以上に頑張るのだろう。個々の活動だって今もきちんとしてるのに。
そんな時、不意にKAT-TUNが星のようだと思った。星はその光が地球に届くには何年も何億年もかかる。地球で今輝いていても本当はすでに光を失っている可能性があるのだ。KAT-TUNという6個の星でできた星座を見つけたのに気付いたら3個の星しか輝いていない。いつの間にかその3個も見えなくなってしまうのではないかと不安だったのだ。

ライブが終わってみたら、思ったより暗くならなかった。一ファンが不安に思うのだから本人たちの不安は更に大きいことは感じ取れたが彼らの言葉は力強く、泣きはしても笑って終われたことで救われた。リスクを背負うことの重大さは3人が一番わかってる。ファンができるのは寄り添うことと付いていくことしかない。淋しいことには変わらないが、3人一緒の機会はなくても3人それぞれを応援する気持ちはある。そう思うには十分なライブだった。

KAT-TUNという星は美しく輝いていた。ただ、見てるこっちが勝手に見失って、不安になってるだけかもしれない。

戸塚祥太の中の寝盗られ宗介

寝盗られ宗介を見てきました。予想以上に面白くて何度も見たくなるような作品でした。この寝盗られ宗介がなかなかのポスター・チラシ詐欺でして、あんなに艶やかなキャストはいない(笑)劇中でもネタにしており、藤原くんと姜さんの掛け合いで面白くつっこまれていました。


ポスター等のイメージとあらすじを少しだけの前知識で行き、戸塚くん演じる宗介は女房を寝盗られ可哀想だと思ってました。この勘違いが作品を楽しめた要因かもしれません。実際は可哀想な旦那ではなく、卑屈に振る舞うが歪んだ愛で相手を追い詰めるようなやばい旦那でした。女房は寝盗られていると皆に宗介は言うのですが、本当は間男を唆して女房を寝盗らし、間男が旦那に唆されたことを知りながらも関係を持つ女房に対してはネチネチと追い詰めていきます。見ているこっちは宗介の歪んだ愛が自分を追い詰めることになることは薄々とわかってきます。だけど、宗介はぎりぎりまで気付かない。駄目だよ戸塚くんもとい宗介!と言いたくなっちゃいます。少し早口で畳みかけるように喋る戸塚くんの姿は宗介のヤバさが出ていました。目に見える狂気じゃなくて、じわじわと侵食するようなヤバさ。そのヤバさと戸塚くんの美しさの対比がいいんですよね。第一幕では戸塚くんがさらし姿で結構な時間をいるのですが、身体ができているから見ていて飽きない。眼福とはこのことか。そして、前髪がはらりと落ちるのが恐ろしく色気があるんですよ。
あと、戸塚祥太が腰を振る(笑)福田沙紀ちゃんに腰を押し付けるような場面もあるし。そこまでやっていいのかジャニーズ。コメディっぽくしているからいいのかな。今の流行りのフレーズが出たりコメディっぽさが目立つ第一幕ですが、第二幕になると様子が違ってきます。宗介だけが変わらず卑屈に見せたりするが、レイ子や座員の様子がちょっとずつ変わってくるのが話に引き込まれます。しかし、ハッピーエンドで終わるのが見ていて気持ちが良かったです。


公演を重ねるたびに、戸塚くんの中の宗介が洗練されていくと思ったら、まだまだ見たいと思ってしまいます。パンフレットで戸塚くんが語っているように、「楽屋裏での一座のドタバタから一転して、劇中劇ではビシッと決めて…という理想にもまだ程遠いので、しっかり稽古を重ねて精一杯近づきたいです。そうしたらきっと、何かとてつもないものがほとばしる瞬間が訪れるのかな、と。」、近いうちにその瞬間が来る気がします。
戸塚くんの29歳の色気が見ることができ、錦織さんがパンフレットで語るような「つかさんの芝居って、ストーリーじゃなく、あのときのあの台詞がカッコいいとか、そういう”熱”を楽しむものだと思うから。」が表現された舞台でした。

少しの興味がもっと知りたいに変わるNEWS

先日、スッキリでNEWSがインタビューを受けているを見て、NEWSをすごく知りたいと思いました。

加藤:小山さんに関しては前回の24時間テレビきっかけで手話を始めたりして今もやっているわけじゃない?それきっかけでevery.のキャスターに起用されたわけじゃない。
小山:それを見てくださったevery.のスタッフさんがevery.立ち上げる時に僕を選んでくださって。ほんと僕にとっては今の生活は7年前の24時間テレビから軸をつくっていただいた。

 続けて、スッキリ新サブMCの春菜さんへのアドバイスがダメ押しでした。

小山:上っ面のことは喋らない。これ一番怒られますから。お前思ってもないこと言うなよって。

重いですね。生放送であるし、時事ごとを扱うので自分の発言にきちんと責任を持たなければいけないということなのかなと。小山くんはその言葉を胸に仕事をしているのでしょうね。
このスタッフさんに見初められる話がすごく好きかもしれません。前回の24時間テレビではNEWSは6人で小山くんが特別目立っていたわけじゃないと思います。目立たなくても、スタッフさんには期待に応えてくれると信じられるような人だったんでしょうね。小山くんにとって自分の軸をつくるような番組に出会えて、お互いにこれ以上ないですね。

 

NEWSが気になって調べていくと、加藤くんの1万字インタビューで語られる「仕事が欲しい」の直談判の話もなかなかグッときます。

俺、切羽つまってたんだろうね。番組を見終わった瞬間、夜の11時半かな、いきなり事務所に電話をかけて。もちろん誰も出なかったんだけど(笑)すぐ、事務所のえらい人に”お時間を作っていただけませんか?”ってメールを打った

仕事は必ずしも事務所がもってきてくれるわけじゃないんですよ。加藤くんのように仕事を自分でつくりだすパターンもあります。仕事に対しての打開策がわからず悶々と過ごしていた時に、二宮くんが事務所に直訴してオーディションを受けた話に出会えて道が開けていったんでしょうね。

 

芸能界だけでなく一般の仕事にも言えるのですが、仕事は仕事の依頼者に選ばれたり自分でつくりだすものではないでしょうか。社内の人だけで選ばれたのであってもその人が評価されているのに変わりないですし、社外の人含めて選ばれたのであればその人だけではなく会社丸ごとを評価していると思います。選ばれることに対して色々言うのは、選ばれた人にも選んでもらった人にも失礼かなと。仕事をつくりだすというのは自分が企画してこれから仕事として形にすることなのですが、できることをプレゼンし賛同する人を探すステップが必要になりますね。仕事って大変…。大変でもするのはその先にある何かが人を動かすんでしょうね。


小山くんの言葉で不意にNEWSを知りたくなって調べていくと、少しの興味で深みにはまっていってしまう。ただ、NEWSの1万字インタビューがすでに終了しているのが残念なんです。読みたかった…。欠片を見つけては喜んでいるところです。もし1万字持っている方がいたら声をかけてもらえると嬉しいです。

村上信五を演じる村上信五

村上くんは単純に生きているのかなと以前は思っていたが、単純どころか複雑で自分の立ち位置を探りながら過ごしているのだと今は思います。世間が求める「村上信五」を演じているんだと。
村上くんはインタビュー等で自分を普通面白い人間ではないと表現するんですよね。コンプレックスのようなものから、自分ができるまとめ役やつっこみ役に行きついたのでしょう。作り上げたイメージを壊さないようにそして求められる・与えられる役割をきちんとすることによって仕事を掴んでいっています。気付けばレギュラー番組が増え、ソロのCMを任されています。村上信五の市場価値は上がっているのでしょう。

 

パブリックイメージである錢ゲバならば、村上くんが多忙なことを喜んでいるかと思いきやそうでもないんですよね。
ザテレビジョンCOLORS「ほんまに錢ゲバやと思うで。いや、そこまでお金に貪欲ではないけど、ただ、お金のゆとりは気持ちのゆとりであると思うからね」とお金の豊かさと気持ちの豊かさはイコールだと言っているのですが、一方で多忙な日々を「いやいやめっちゃツラいって!」「とにかく家に帰ったら、寝たいだけやな。家では仕事のことを考えないようにしてるからね」と言っており、矛盾しているように思えます。肉体的にも精神的も限界が近いようで、イフオア8での仕事の依頼はくるがそれは関ジャニ∞のためになるのかと悩んでいる村上くんの姿に重なります。今以上に多忙になっても村上くんは仕事を続けると思います。個人の仕事が関ジャニ∞のグループ活動に還元されると考えているから。関ジャニ∞という看板は、みんなで支えないと倒れるからね。」とも語っています。
だが、多忙ゆえに村上くんは村上信五を演じる上での考えを変えようとしています。「頑張り過ぎるのはやめようと思ってんねん。頑張り過ぎると空回りするというか、うまくいかへんから。求められていることに感謝しながら、ちゃんとそこに応えていけたらいいなと思っている。」と。自分の限界を認めつつ、自分の考えを残しているのが村上くんらしい。


ヒルナンデスの卒業で仕事が減少するのは悲しいけど、村上くんが関ジャニ∞の中で笑っていられるような肉体であり精神であって欲しい。求められると頑張れることはわかっている。すでに示しているのだから。今回の卒業が村上くんの次の変化に進んでいるだけだと思う。変化を恐れる人になって欲しくないし、ちょうどいい仕事を求めるような人であって欲しくないという個人的な思いがあります。

 

村上信五がたまに見せる悲しんだり淋しがったりという感情の揺らぎが個人的にたまらなく好きです。ただ揺らぎ過ぎると心配になる。それだけ。

 

 

ザテレビジョンCOLORS表紙の「しんどいくらいがちょうどいい」は村上くんが語ってはいないですね。「半分やりたいし、半分やりたくない。それが、ちょうどいいんやと思う。」の編集の方の解釈でしょうね。

ザテレビジョンCOLORS vol.20 VIVID

ザテレビジョンCOLORS vol.20 VIVID